才谷君のなんじゃそら!

2012年はいよいよ○○???
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コン・ヒー逮捕
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    ついにこいつもやっちまいましたか。
    http://mblog.excite.co.jp/user/maranatha/?_s=d25142a7aa8dab950829b36bc760349a
    まさに『繁栄の神学の崩壊』ですな(笑)私にとっては朗報ですが、裏切られた信仰者の皆さんは気の毒です。
    一日も早く、こんな輩が消えてくれることを祈ります。

    | 才谷龍太郎 | キリスト教の話 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    さよなら大好きな人
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      JUGEMテーマ:日記・一般
        今月25日、仕事中に実家の友達からメールが入りました。

       『今日、母が息を引き取りました』

       友達のお母さんは実家の教会の信徒さんで、私が幼い頃から大変にお世話になっていた人でした。病状を知ったのは約一ヶ月前。本人も、今年に入ってから知ったとのことで、あっという間のご逝去でした。

       病の床に臥せっていることを聞いたきっかけは、ある日ふと友達のことが頭に浮かんで気になったので電話で聞いたことからです。Facebookで友達からも聞きましたが、まさかそんな深刻だとは露知らず。。。意識がはっきりしているうちにお見舞いに・・・との想いも空しく、メールで訃報を知ってしまいました。

       翌日は土曜日でしたが、あいにく仕事だったので夜行バスにも乗れず、もどかしい思いでいましたが、同僚の計らいで昼には上らせてもらい、即行で新幹線に乗って高知県を目指しました。瀬戸大橋や土讃線の景色は久しぶりで懐かしくもあったのですが、気のせいか全体が悲しい雰囲気に包まれていました。
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      | 才谷龍太郎 | キリスト教の話 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
      AG九州教区の皆様にお願い
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         九州の方で、これを読んでいる人がいればの話ですけど・・・

         この4月より、関西から九州に移動になった伝道師が一人います。その人についてですが、彼は私の大切な友人です。十代の頃より神と人に仕える道を志して、本当になってしまった奴です。

         頭は硬いが、根は真っ直ぐで、真面目で、一生懸命な奴です。目上の者には盲従して、自称『イエスマン』と言っていますが、気遣いぃで人の悩みは親身になって受け止めてくれます。

         正直、アホです。でも、努力家です。成長は遅いですが、確実に一歩を踏み出せる人間です。 猪突猛進型ですが、考える力は最近ちょっとマシになってきました。たまに訳わからんこと言いますが、どこまでいっても憎めない、大切な大切な友人です。

         そんな奴ですが、これからしばらく皆様のお世話になります。どうか長い目で、優しい心で見守ってやって下さい。教職としては未熟で、頼りないかもしれませんが、皆様のご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。きっと、立派な牧師となってくれることを私は神の名において信じています。

         慣れない土地で心細く不安も多いことと思いますが、早く九州の地に慣れるよう、協力してあげていただきたいと切に願います。甘えや怠慢、横柄な態度はまずしないと思いますが、もしそのようなことがあれば、私が許さないと釘を刺していますのでご安心ください。万が一そのようなことがあれば、こちらまで(才谷流ブラックジョークです 笑)

         つーくんへ

         こないだも電話で話したけど、ホンマに人を大事にできる伝道師になってください。AGという組織や、教区とのしがらみもややこしく関わってくることやろうと思うけど、(何でもそやけど)長いものに巻かれたら牧師は終わりやしね。何の為に、誰のためにこの仕事してるのか、常に考えて、常に己を省みて、精進していって下さい。私だけじゃないけど、(自称)私が一番君の将来を期待しているから。最も親しい信仰の友として、いつも案じ、いつも祈っている人がたくさんいるということを忘れないで、くじけないで、そして、無茶はせずに神と人とに仕えていってほしいと思います。
         しばらく会えないのは寂しいけど、そのうち連絡もなく遊びにいってやるから(笑)健闘をいのっています。
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        役員候補生
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           今日、所属教会で教会総会がありました。これは、宗教法人法に基づき年に一回、会員を集めて行う総会で、活動報告・計画、収支報告・計画、役員選出、その他教会の運営に関わる議題を話し合うものです。

           教会の役員は、ここで会員による選挙で選ばれるのですが、被選挙権は、会員になって3年以上且つ礼拝出席率が年3分の2とか半分とかいろいろと決まっておりまして(面倒くさくなった・・・笑)

           今年、私はなんと役員候補生に選ばれてしまいましたというのは、役員は会員から4名が選出されるのですが、私は6番目。5番目と6番目の人は、補欠として役員会のお手伝いをしなければならないのです

           去年は7番目だったので、なんとかその役は免れましたが、今年は逃げられない(笑)役員さんに

           『来週ハンコ持ってきてね〜』

           って言われちまったよ

           総会が終わってから、子どもたちが

           『ね〜ね〜、総選挙どうだった

           って"あの時"を彷彿とさせるような質問をしてきたので

           『俺がセンターだ

           って言いそうになったけど(つか、大阪のおばちゃんに先言われたし。。。)、これだけは頼まれてもセンターやりたくない

           一応
           
           『研究生です

           って言っておいた(笑)

           ともかく、年々役員への道を一段一段進んでる気がするんだが・・・こんな人間役員にしたら、教会潰されまっせ〜(笑)
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          CAの日
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            JUGEMテーマ:日記・一般
              昨日は成人の日私の所属している教団の関西教区でも、成人者を祝うイベントが行われました。

             その日は丸一日を使っていろんなプログラムがあったのですが、その中で講師によるセミナーがありました。

             テーマは『C・Aの日を知っていますか』。ちなみにC・Aとは"Christ's Ambassador"(キリストの大使)の略で、未婚のクリスチャン・・・主に若者・・・を指す言葉です。講師は今年引退された高齢の牧師さんで、内容は割りと興味持てたかな。でも、ちょこちょこ自慢話を入れてくるのがウザい(−−♯)

             教団の歴史を通して、このC・Aがどのように変わっていったか、どのような活動があったか、そして、現代、つまり私たち現役のC・Aがどうあるべきかを語っていたのだけれど、どうやらこの牧師さんが若い頃、つまりは高度経済成長だとか学生運動だとかで若者に熱気・活気があった頃は、このC・Aが活動して得た資金で教団や牧師にいろんな物を買ってあげたり、路傍伝道(ストリートミュージシャンのようにして行う布教活動)や文書伝道(トラクト=チラシのようなものを配って行う布教活動)をするなど伝道の一翼を担っていたとか。
             こられらを例に挙げ、今のC・Aは活動に消極的だ。もっと胸を張って伝道に参加し、教会・牧師を支えるべきだ。集会ばかりに参加して、自分だけで満足してそれを外に出していない。等々・・・

             うん、言ってる事はわかるんだけどね、やっぱあなた頭が古いのよ。当時と今とでは、置かれている環境がまるっきり違う。特に『オウム真理教事件』を筆頭に、色んな新興宗教の起こす事件によって人々の心に宗教に対する警戒心ができたし、引きこもりやニートなど人間関係の構築が困難な人が多い昨今、無駄に動いても骨折り損なのよ。ましてやキリスト教界自体もカルト化教会が問題視されていて、『聖神中央教会事件』のように表沙汰になったりして肩身の狭い思いしてるのはこの私たちなんですけどぉ〜で胸を張れってそら酷じゃございませんこと
             牧師に自転車買ったとか、教団にキャンプ場を贈ったとか昔話されても、安月給でこき使われているこの時代、結婚式を挙げる資金を貯めるので精一杯のこの時代、どこにそんな余裕ありますか


             そんなことを思い、質疑応答の時に思いっきり吹っかけたろと思っていたのに、オッサンしゃべりすぎ。10分しか時間無いし、一回質問したけど私も熱くなりすぎてしゃべりすぎて、もう一人の質疑応答で終了〜
             ならばこの後の茶話会の時に囲ったろ。と思ってたら、そこに講師の姿は無い・・・去年の講師は残ってくれたのにつか、あんたも講義の中で

            『ちょっと私一方的にしゃべりすぎたかな。皆さんの意見も聞きたいです』

            って言ってたやんけ

            と、伝道師2人ほどがテーブルのお菓子を山盛りパクって消えていくではないか。ははぁ、さては応接室にいる講師の為にだなよし、こうなりゃ応接室に攻め込んでやらぁと策を練っているうちに時間切れなんとも消化不良な思いが

             ともかくも、新成人のみなさん、おめでとうございました
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            能無し
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              6月9日付けのエントリー『聖霊の満たし』で書いた、教団月刊誌の記事の著者に、友人の神学生を通して、同じ質問をしてみた。

              随分と時間がかかったが、先日ようやく返事がきた。

              『教団誌なので、編集部に聞いてみてください。』

              だと………逃げたな(笑)つか、情けね〜な〜下向き自分で書いた記事だろ。応えられないのかよプシュー
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              | 才谷龍太郎 | キリスト教の話 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              そんないいもんじゃねぇよ
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                  とある伝道者さんのブログより

                 『クリスチャンって、他の人のために泣いたり、喜んだり出来る稀有な人種だと思います。』

                 これは、洗礼式のことを取り上げた記事なんですが、、、私はこの伝道者さんが好きだし、応援してるからこそ、一言言いたい

                 『あんた馬鹿〜

                 言いたい事は解る。ノンクリスチャンは人のために泣いたり喜んだりできない、って言いたいわけではないってことも解ってる。でもね、クリスチャンってそんなにいいもんじゃないよ。どんだけ特別な存在よノンクリスチャンだってね、っていうか、ノンクリスチャンの方が人への思いやりは強いかもだよ。誰だって、人の不幸は悲しいし、人の幸せは嬉しいもんだろよ

                 そうやって、クリスチャンを変に特別視するから、敷居が高いだの怪しいだのと敬遠されるのよクリスチャンであろうがなかろうが、神は同じように愛して下さってる。それを忘れないようにしていただきたいものだ

                 『父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる・・・。(マタイによる福音書 5章45節)』
                | 才谷龍太郎 | キリスト教の話 | comments(6) | trackbacks(0) | - | - |
                賛否
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                   今日、教会に行くと、隣県からmixiのマイミクさんが来られていました。
                  ご挨拶すると、

                  『いつもブログ見てますよ。(キリスト教の話題では)励まされています。』

                  と仰ってくださったお茶関係者の方からもよく言われていますが、特にキリスト教の話題でこのように言われるのは、本当に嬉しいです

                  というのも、昨今親父との手紙のやり取りで

                  『ブログ見て困惑しています。公の場での言動には注意してください。』

                  と言われていたのだ

                  確かに、自分でもちょっと言いすぎかなと思う事もあるのですが、しかしこれが現状・現実なのです。牧師や教会の暴走、カルト化が、一部ではあるにせよ増えてきているのです

                  その中で傷ついた方々の声が、私のところに寄せられているのです。これを私が発信しなくては、彼らの心の声はかき消されたまま。何も変わらないままで、キリスト教界の先行きは絶望的です。

                  もちろん、親父の言葉の真意はわかっています。『言うな』ではなく、『言い方に気をつけろ』ということですから、私の物言いを懸念しているのです。言葉を包み隠さずストレートに言ってしまうので、棘というより鋭利な刃物として映ってしまうのでしょう。

                  しかし、どうでしょう。暴走した牧師や教会は、信徒に対してどんな対応をしているでしょうか。私の言葉よりも乱暴な、粗雑な、恐るべき凶器でもって従わせているのです。傷つけているのです。
                  私は、傷ついた方々の声を代表して述べているだけ。オブラートに包んでしまっては意味がありません。心を隠していては、本音は出てきません。

                  ただ、見習うべき方はいます。クリスチャンの精神科医・工藤信夫先生です。彼の著書を私は幾つか読みましたが、キリスト教の問題を被害者の相談や実体験に基づいて述べているのですが、これが実に見事加害者を非難する訳でなく、客観的・主観的側面からバランスよく指摘し憂えていることが伝わる文章で、見ていて安心できます。

                  …まぁ、、、真似るのは性格的に難しいですけど父上様、ごめんねこれからはちょっと控えてみます
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                  牧師・伝道師に告ぐ
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                     最近、体が重たい。気持ちも重たい。いや、体調が悪いわけじゃない。この週末は、遅くまで飲み歩いてたし・・・

                     そりゃ飲まないとやってられんよ、こんな頻繁に教職の言動に対する問題が起きたらね自分たちの言動がどれだけ信徒に大きく影響するのかを、もう少し意識してほしい。先の記事にも書いたように、所属教会の雰囲気が何かおかしいということは教職にも伝えた。

                     では、何がおかしいのか

                     教会に集う人々の気持ちに、一致が見られない。というよりは、バラバラ感が非常に顕著に見受けられる。教職同士、教職と信徒、信徒同士の関係がこんなに足並み揃っていないのは、私も初めての経験かもしれない。だからこその違和感なのかも。

                     礼拝が終わると、多くの人はそんなに長く教会に留まっておらず、兄姉とも交わりを持とうとしたくないかのようにそそくさと去ってしまうし、教職は次のスケジュールの準備などの為、忙しそうに動き回って信徒との交わりもお愛想程度。教職同士も、ミーティングの時はそりゃ話すだろうけど、それ以外でコミュニケーションをとっている様子はそんなに見受けられない。

                     それはどうしてだろう。

                     前提として、日曜日の教会におけるスケジュールの過密化が挙げられる。かつては朝・昼・夕の礼拝と、必要に応じて教師会や役員会等のミーティングもあったが、最近では各礼拝の合間に外国語(英語以外の)礼拝やセミナー、公園伝道、もちろんミーティングも入っていて、常にどこかしらでなにかしらしている状態。心が休まるときがないのだ。

                     その結果、信徒は気の使わなくていい外へ出かけ、教職は忙しさの余り他への気配りをする余裕がなく、ピリピリした雰囲気になる。そら誰も近づかんて。

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                    | 才谷龍太郎 | キリスト教の話 | comments(11) | trackbacks(0) | - | - |
                    聖霊の満たし
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                       一体なんだっていうんだよ・・・

                       私の所属する教団の月刊誌を読んで、またまた怒り心頭に発してしまいました

                       以下はとある牧師の記事を要約したものです。

                       『神の霊に満たされた人は教会に仕えるために満たされたのである。・・・「満たされる」という体験は、個人の中で完結してはならず、外部に出されて始めて目的が果たされるのである。 
                       教会生活から離れて、聖霊に満たされているということは違和感を感じる。なぜなら、神はキリストの体なる教会に人々が仕えるために、神の霊を持って人を満たすのである。つまり、教会に仕えるために神の霊に「満たされる」のである。
                       従って、「聖霊に満たされましょう」という掛け声は、同時に「あなたの教会に心底徹底して仕えましょう」ということを意味しているのである。
                       皆さんは、今日、ご自分の教会に何をもって仕えていますか?』


                       もうね、クリスチャン辞めたくなるわ、こんなアホ牧師ばっかじゃ・・・いや、ばっかじゃないから辞めてないんだけども(笑)

                       そもそも、「聖霊に満たされる」という事象は非常に定義が曖昧で、それこそなんでもアリかというほどにいろんなことが当てはまってくる。

                       所謂、『異言』や『予言』、祈りの中で神の声が聴こえただの幻を見ただのといった超常現象を指す場合や、沈んでいた心が急に解放された。などの癒し体験、切迫した状況の中での咄嗟に取った正しい反応を指す場合もある(これは私自身体験してますが)。

                       それらがみんな、『(建物である)教会に仕えるため』にあるとしたら、聖霊とはなんと狭量な存在であろうか。聖霊とは、教会にも、個人にも深く働く果てしなく大きな存在であるはずなのに・・・ましてや個人の聖霊の満たし体験を、個人の中で完結してはいけないなどと聖書のどこに書いてある誰がいつ決めたのだろうか。

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